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2012年5月12日 (土)

【週刊つぶやき】第44号/立ち直り・回復に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第44号をお届けします。
今回はテーマ【立ち直り・回復】です。

震災を機に起こった様々な出来事の中で、多くの方が傷を抱えることになりました。
まだ、前を向くなんてとても出来ないという方も、たくさんいらっしゃることと思います。
今回は、そのような状況の中で、ほんの少しでも、立ち上がって、前を向けたという方の声を集めてみました。
仕事をすること、当時のことを書き記すこと、近くの子どもと遊ぶこと、そして足湯の場で語らいあうこと、そうした瞬間が一人一人が回復へ向かうちょっとしたきっかけとなっているようです。
回復のプロセスに少しでも寄り添う、そんな支援がまだまだ求められています。

○あんた達みてるとねぇ、娘のこと思い出しちゃってねぇ。娘は津波で流されて死んだの。孫も流されたの。本当の一人ぼっちになっちゃった・・・泣きたくない時と泣ける時があるのね。これでもね、最近はやっとこうして外に出られるようになったのよ。ずっと閉じこもってたんだけどね。それではいけないと思って・・・足湯すると夜でもまだあったかいの。すごくいいのね。あったまるね~パワーもらうのかな。毎週来てくれて本当ありがたいわー私すごく冷えるから。ありがたいです。
(2012年1月21日 石巻・仮設 80代 女性)

○30年ぐらいラーメン屋をやっていたんだけど、お父さん(だんなさん)が(津波の前)死んじゃって、お店も流されて全部なくなっちゃった。集会所には1月から来るようになった。子ども(子どもは養女だそうです)も産んでなくて、価値がないから編み物でもやって・・・。ずっと仕事ばかりやっていたから、友達がいない。おしゃべりもお茶のみもうまくない。(編み物)みんな慣れているから早い。震災のこともみんな前に進んでいるけど、私はゆっくり。
(2012年2月5日 七ヶ浜・仮設 80代 女性)

○津波で宝石全部流されちゃって・・・。息子も夫も全員流されちゃったの。あと孫が1人高校生なんだけど、まだ見つかってないの。最近やっと人に会えるようになった。もう足湯ないのかと思ってたから嬉しい。すごく温まったよー。
(2012年3月18日 石巻・仮設 70代 女性)

○母はね、2年前に実家で誰にもみとられずに死んだのよ。もっと頻繁に連絡してればね。本当に後悔してる。それから1年で津波でしょ。お母さんの・・・声が聴きたくて、励ましてほしくてね。今でも携帯に電話してしまうのよ。(telに)出ても怖くないわよ。一緒に泣いてくれてありがとう。一か月に一度くらい来てもらえたら嬉しいんだけど、ごめんね、被災者ってだけでわがまま言って。
(2012年3月24日 陸前高田・仮設 50代 女性)

○家も何も流されてしまったけれど、家族は無事だった。水も電気もなく、こんな生活をするとは、思ってもなかったよ。今は民宿の手伝いをしている。夜11時過ぎまで働いていて疲れるけれど、忙しい方が気が紛れていいよ。
(2012年3月24日 釜石・仮設 50代 女性)

○あれから支援物資でえんぴつやらノートやらもらって、当時のことから今までのことを書いたり、名前書いたりしてね~。着替えが10日位なかったりね。食べ物が来ても服がね。津波がこうして来たのは・・・あれだけど、そうじゃなきゃ会えなかったんだもんね。こうして会えて良かったよ。生きてく活力になってるよ。
(2012年3月25日 陸前高田・仮設 70代 男性)

○こんな大変なことは二度といやだ。もう二度と経験したくない。やっぱ昔の人はすごい。海でお米を拾って鍋探してきて、たきぎで炊いた。私なんかじゃ駄目だった。箱崎には帰りたくない。見たくない。でもいっぱい話して聞いてもらえるうちに少し楽になってきた。話すことって大事ですね。
(2012年3月28日 釜石・仮設 30代 女性)

1週間前から、家の近くを歩くようになった。そうすると健康になるんだよ。4ヵ月後に病院で検査あるから、それを目標にして元気になろうとしてるんだよ。薬を飲む必要がなくなるほど元気になったらどうだろう(笑)。震災でとても辛い思いをした。私は自分一人のことは自分で支える必要がある。
(2012年3月31日 気仙沼・公共施設 80代 女性)

○ビックパレットのときに足湯があったのは知っていたけど、そんな気分になれなかった。最近になって「桜見たいな」とか思うけど、あの頃は家に引きこもりたい気分だった。いやー、足湯ってこんなに気持ちのいいもんだったんだ。「絆カフェ」ができて本当によかった。ここに来れば離れ離れになった富岡の人とも会えるから。仮設と違って借り上げは支援があまりないから。
(2012年4月8日 郡山・支援拠点 60代 男性)

○自営業をやっていたから、ここの人はみんな同じ地域の人たちだよ。1年前はこういったカフェみたいな人が集まれるところがなかったから。けど、今は出来てきたから、人と人の交流の場ができた。よかった。こういった場所はとても重要なんだよね。仮設住宅にいると孤独で。人と人のコミュニケーションって本当に大切。年をとる度にわかってくるね。
(2012年4月8日 郡山・支援拠点 70代 男性)

○家も全部流されたから、前は自分もいっそ流されてしまえば良かったと思ってたけど、ボランティアの人とかに本当に助けられた。(隣で足湯をしていた男性とは)もともと近くに住んでいたけど、仮設でも隣同士になった。良かった。
(2012年4月28日 気仙沼・仮設 60代 男性)

○20代で半身不随になってしまった。3月11日から落ち込んだが、くよくよしているより前向きに生きるように心がけている。子どもはおらず、姉と二人住まい。近所の子どもたちと外で遊ぶことが一番の楽しみ。
(2012年4月28日 気仙沼・仮設 50代 男性)

2012年5月 5日 (土)

【週刊つぶやき】第43号/食に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第43号をお届けします。
今回はテーマ【食】です。

食べるというのは、生活・生命の基本を支えるとても大切な営みです。
今回は、「食」に関わるつぶやきを幅広く集めてみました。
そこには、今何を食べているかだけでなく、何を・誰と食べてきたか、誰のために食事を作るのか、誰に食事を作ってもらったのか、といった様々な人間関係と関わるものも含まれていて、食からその方の生活や歴史へと想像力はふくらみます。
また、栄養の偏りや体重の急激な増減など気になるつぶやきもあり、そうした言葉を聴き取った時に、どうやってその人の生活を支えていくのかも考えていかなければなりません。

○津波で家内が流された。夕方になると寂しくなる。一人暮らしなんだ。かまぼこ屋で惣菜も作ってた。調理師免許も持っているから料理は作れるけど、一人で食べるのは味気ない
(2012年1月20日 亘理・仮設 80代 男性)

○足湯は気持ちがいいね。体が芯からあったまる。前は農業やってたの。やっぱり土が恋しくなるねえ。もうこっち来てできなくなっちゃったから・・・。自分で作るのは美味しいよね
(2012年1月29日 いわき・仮設 60代 女性)

○(手のひらの親指下のふくらみが張っていたことについて)寝不足だからかなあ。2時に起きてね、全然眠れないのよね。頭が冴えちゃって、疲れてても眠れないのよ。震災後に5キロ太ってね。どうしても、インスタントとかお菓子になっちゃうから。
(2012年3月7日 陸前高田・仮設 年代不明 女性)

○手が厚いでしょ? 前は百姓やってたの。米や野菜や色々作ってたの。わかめ鍋はおいしいよ。さっと煮て作るのよ。
(2012年3月7日 陸前高田・仮設 60代 女性)

○LDLコレステロールが180以上あってね、驚いちゃった。それから毎日、玄米フレークやヨーグルト食べたり気を遣ってるの
(2012年3月8日 陸前高田・仮設 50代 女性)

去年も畑でいろいろ野菜作ったのよ。ホウレンソウはうまくいかなかったけど、トマトは山ほど獲れたの。今年もね、いっぱい作るんだ。出来ることをやってるだけだから、何もすごくなんかないんだよ。子どもが嫌いなものは毎日出して食べさせた。中学・高校とどっちが勝つかって。私が勝った。今は何でも食べるようになったもん。
(2012年3月8日 陸前高田・仮設 70代 女性)

○ずっと畑仕事していたから。新潟にしばらく(3ヶ月ぐらい)いたときも畑を手伝っていた。そのときは漁師の家だったので魚をとるのも手伝って。畑ではいもやにんにくをたくさんとった。ふきのとうなどもあった。福島にも持って帰ってきた。福島のものも送ろうと思ったけど福島のものはいらないみたい。新潟には○○(山菜の名前)があったが、あちらではみんな食べないみたい。あちらの人はあざみなども食べていた。
(2012年3月11日 郡山・仮設 50代 女性)

○インドネシアの人達が、今朝も来ていたけど、自分たちも地震があったからいち早く避難所に来てくれて、20人位いたかな。カレーを作ってくれたんだよ。味は日本と違うから、嫌いな人もいたけど心があるからね
(2012年3月17日 遠野・仮設 60代 女性)

○今日、戻ってくる娘のために夕食の支度をしてきた。人参・ごぼう・大根を鍋にこしらえてきた。
(2012年3月18日 遠野・仮設 60代 女性)

昆布をもらったので、ヌタを作って味噌汁を作って、茎は煮てきたった。味噌汁には、一番最後に昆布を入れないとくずれちゃうのに、嫁さんは味噌汁と一緒に入れちゃうんだよね。
(2012年3月23日 釜石・仮設 80代 女性)

○今までずっと好きだった納豆が震災後急に食べられなくなった。しかし、今日やっと食べられるようになった。
(2012年3月25日 釜石・仮設 60代 女性)

最近は肉しか食べてない。食べ物が偏ってるからちょっと太ってきたかな・・・。
(2012年4月1日 一関・雇用促進住宅 50代 男性)

食欲はあるのにどんどん体重が減ってるのよ。今は38kgぐらい。食べた分、いったい何処にいっちゃってるんだかね(笑)。一番、重たかった時は48kgあったけど。大丈夫かね?
(2012年4月1日 一関・雇用促進住宅 70代 女性)

2012年4月28日 (土)

【週刊つぶやき】第42号/慰霊・供養に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第42号をお届けします。
今回はテーマ【慰霊・供養】です。

震災・津波から1年、またお彼岸も重なった2月から3月にかけては、亡くなった方の慰霊・ご供養に関わるつぶやきが多く見られました。
大切な方を亡くされた方たちにとって、慰霊・ご供養に関わることは決して1年限りで終わりではなく、毎月・毎年、ひょっとしたら毎日思い返されることなのかもしれません。
震災直後から、慰霊施設や祈念公園の設置等の話題があがっていましたが、被災者のこうした声にきちんと耳を傾けた上で、死者の慰霊・追悼のあり方を考えていかないとならないでしょう。

○釜石の畑のわきに蕨をうえていて、去年ものすごく沢山とれたので今年はどんなにとれるんだろうと思ってたけど、流されてなーんにもなくなってしまった。杉の木も枯れてしまった。初めは元気そうにみえたけど、だんだん葉っぱが赤くなってきて、枝も落ちたりしてきて・・・木霊じゃないけどお父さんが悔しがって一緒にもっていったのかなぁって。毎月11日の近くにお墓参りにいって、その時に杉の木も見てきたのだけど。本当にもう・・・うちは親戚も含めて7人亡くなって、4人はまだ行方不明のままで。私は杉の木につかまって。津波は来るときは山のようにみるみる盛り上がってくるので、必死につかまって上の方に登って登って、息をつくのも大変だったけど。だけど波が引いていく時は登っていた木がしなって釣竿みたいになった。お父さんは流されたけど、私は・・・与えられた命は与えられた時まであんだよねえ。。
(2月1日 遠野・仮設 70代 女性)

○宝来館に勤めていて、皿洗いで右手がむくんでいるので、右手をやってほしい。流されてしまったが、1月から再開して、今は、法事が多い。旅館に泊まる人もいる。親戚の方が見つかったので、法事がある。
(2月24日 釜石・仮設 70代 女性)

○松島で亡くなった主人の一周忌を済ませ、娘、息子の家族と1泊してきた。このあたりでも700人ぐらい亡くなった。自分はプールに行っていて助かった。出かけていた方ばかり助かった。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)

○仮設は顔見知りばかり(元々ご近所で浜の方の人)だから助かる。家を流された人が多く、自分は家は大丈夫だったが、夫が流された。もうすぐ1年だから一周忌をしようと考えている。家は2Fが大丈夫で直せば住めるが、どうしたらよいかどこから考えたらよいか分からない。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)

○先日からお彼岸に入ったから忙しい。うちも(津波で)親類が亡くなったから、先月1周忌を済ませたの。亡くなった人も多いから、法要も混むでしょ。だから2月にやったの。
(3月18日 七ヶ浜・仮設 80代 女性)

親戚の一人がまだ発見されてないから、お墓に行っても意味がない。だから家の跡地に行って拝んできたよ。早く見つかってくれなきゃ、骨もないからお墓も作れない。大事にしていたものが全部流されちゃったよ。何も残っちゃいんべ。仏壇の中にお金(昔から記念にとってあった)を入れといたけど、あんなところからとれなかった。流されちゃった。自分の身を守ることで必死だった。
(3月18日 遠野・雇用促進住宅 60代 女性)

午後からお墓参りに行ってた。息子たちも来てたんだけど、もう帰ったから。お彼岸の料理を作るのに、2~3日忙しかった。お金もかかるし。いつも10時~15時まではここ(集会所)にいるから、帰ってから料理の準備してたよ。
(3月18日 七ヶ浜・仮設 70代 女性)

大槌でね、周りの人も46人亡くなったんだよ。僕は、仕事が終わってウニやアワビを採ってたんだよ。大槌には、彼岸の時にお墓参りに行ってきたよ。あまりの変わりように言葉もないね。
(3月23日 遠野・雇用促進住宅 60代 男性)

葬式が簡単なものだったから、1周忌はきっちりやったよ。家も何も流されてしまったけれど、家族は無事だった。水も電気もなく、こんな生活をするとは、思ってもなかったよ。
(3月24日 釜石・仮設 60代 女性)

○横浜にずっといたの。子供の所に先月戻ってきた。知り合いが5人も亡くなっているので、祈っているんだ。
(3月24日 釜石・仮設 80代 女性)

2012年4月21日 (土)

【週刊つぶやき】第41号/みなし仮設に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第41号をお届けします。
今回はテーマ【みなし仮設】です。

現在、被災地支援がプレハブの応急仮設へ集中するため、情報や物資等の支援が「みなし仮設」に十分行き届いていないことが課題とされています。
今回は、「みなし仮設」の居住者や、「みなし仮設」に関係するつぶやきを集めてみました。
地域や居住形態によって課題は様々ですが、見過ごされがちな「みなし仮設」への支援のあり方も今後考えていかなければなりません。

○借り上げ住宅でも良かったんだけど、こういうところのほうが情報も物資も入ってくるからね。それに同じ経験もした人たちだから気持ちも分かり合えるしね。
(10月23日 三春町・仮設 40代 女性)

○ここは入るまでは仮設と同じ扱いなのに、入ったら雇用促進の管轄なの。光熱費の補助もないし、他の仮設の人がもらえるものも全然ないの。炊き出しだって今日が初めてだし、こういうイベントも全然なくて、住んでる方々が集まることも全くないのよね。
(10月26日 陸前高田・雇用促進住宅 50代 女性)

○この促進住宅に住んでいる人も、家族の誰かを亡くした人とかも多いんだよ。ここは仮設と違って情報もないものだから。またいろんな意見の人がいるから、まとめるのが難しいんだよね。こたつ布団が欲しい人とか毛布が欲しい人とかミシンが欲しい人とか自転車が欲しい人とか。。。普通の仮設といろいろ違うので、情報が全然入ってこない。仮設住宅の自治会長ミーティングとかがあったら、いろいろ聞けるのでいいのになぁ・・・。エレベーターなしで4,5階に住んでる年寄りだっているんだから。
(10月26日 陸前高田・雇用促進住宅 70代 男性)

○こうして足湯をしてもらうと、疲れがとれるので、本当にありがたいです。新たに建設された仮設ではないので、仮設であって仮設でないようなところです。だから支援も他とは違うような気もする。一体どうなってるんだか。入りたくて入った仮設じゃないのに。不便を感じて他の仮設に移った人もいるのよ。
(10月26日 陸前高田・雇用促進住宅 70代 女性)

○私も富岡だけど、全然知り合いがいないのよ。最初は、川内にいて、危ないって言われたから茨城に行って、友達の知り合いのところにいたから気つかってね。お風呂にも入れなかったよ。そらから妹のいる東京に行って、犬の相性があわなくて、次は港区の19階、迷子になっちゃってね。すぐそこに見えてるのに行けなくて。それから○○町の雇用促進住宅に入ったんだけど、1年間使ってなかったみたいでカビくさくていられなかったの。それでここを申し込んできたの。ペットがいるとなかなか入るところが少なくて。
(12月25日 郡山・仮設 60代 女性)

○借り上げだけど、足湯やってると聞いてきました。会えてよかった。仮設はいろいろ保障とか助けてもらっていていいよね。ガス代も出してもらっているんだって。情報ほしくて携帯つかうけど料金も高くなるからね。
(1月29日 いわき・仮設 50代 女性)

○放射能は目に見えないから、すぐに帰れると思って、通帳とか置いたまま郡山に逃げて、寒い車の中で夜辛かったよ。東京に来てからやることがなくて、頭がぱーになってしまいそうだよ。周りの人がどこに住んでいるのか知るのは葬式の時だけだよ。
(2月6日 東京・公共施設 80代 女性)

○夫だけ単身赴任でね。今は子どもとばあちゃん達と6人家族。たまにしか会えないから夫は寂しいみたいだけど、子どもたちは「たまに会うから嬉しい」って。夫、かわいそうだよねぇ(笑)。東電との話し合いの時しか会わないから、どんな人が避難してきてるか分からなくて。
(2月6日 東京・公共施設 30代 女性)

○夏は涼しくてエアコンも要らないくらいだったけど、今は結露がひどくて除湿機を買ったのよ。ふすまを外して広くして使ってたら、いつの間にか押入れがひどかった。こういうところ(団地)に住んだことないからわからなくて・・・。
(3月16日 一関・雇用促進住宅 50代 女性)

○雇用促進住宅に移ってから近所付き合いが薄れてしまった。淋しい。
(3月26日 遠野・雇用促進住宅 50代 女性)

借り上げは何も支援がないよ。でも物資とかいらない物ばかりだからいらないけど(笑)。ここにはけっこう来るよ!
(4月8日 郡山・支援拠点 80代 女性)

○郡山に来るまで7ヶ所の避難所を転々としてた。東京の24階に住んでいたけど、周りはコンクリートで嫌だった。やっぱり、海や山の見えるところじゃないと。ビックパレットのときに足湯があったのは知っていたけど、そんな気分になれなかった。最近になって「桜みたいな」とか思うけど、あの頃は家に引きこもりたい気分だった。いやー、足湯ってこんなに気持ちのいいもんだったんだ。ここに来れば離れ離れになった富岡の人とも会えるから。仮設と違って借り上げは支援があまりないから。
(4月8日 郡山・支援拠点 60代 男性)

借り上げ住宅への支援なんていらないものばっかりだ。たまに福袋みたいな感じではもらえるんだけどね。
(4月8日 郡山・支援拠点 70代 女性)

【用語説明】みなし仮設 とは
今回の大震災では、プレハブタイプの応急仮設住宅の設置に加えて、国や地方自治体が民間の賃貸住宅を借り上げ、被災者に応急仮設住宅として提供する対策が進められました。
また、2011年4月末には、被災者が自力で賃貸住宅を見つけて入居した場合でも、仮設住宅とみなして扱う対象に含めることを決められました。
他にも、自治体が所有する公営住宅・雇用促進住宅等への入居も、仮設住宅と同じようにみなされており、日本赤十字社からの家電6点セットなども支給対象となりました。
そうした住宅を総称して「みなし仮設」とし、住居の家賃や敷金・礼金・仲介手数料などが国庫負担の対象とされています。
略称が「民間賃貸(民賃)」、「(民間)借り上げ」、など様々ですが、発表者によっては公営住宅を含まない、民間借り上げ住宅のみを「みなし仮設」とする場合もあります。
適用期間は2年間となっていましたが、先日4月17日付厚生労働省の通達によって応急仮設住宅の1年間の居住期間延長(合計3年間)が決定し、みなし仮設もその対象として含まれると説明がありました(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120417/k10014501751000.html)。
4月2日現在、建設した応急仮設住宅は約5万3000戸。一方、公営住宅等を除く民間借上げでの「みなし仮設」は、4月17日現在で約6万8000戸となっており、みなし仮設に入居している人の方が多いのが現状です。

2012年4月14日 (土)

【週刊つぶやき】番外編/ボランティアの声

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇をお届けします。
今回は、番外編【ボランティアの声】です。

今回ご紹介するのは、被災者のつぶやきとともに、足湯を行ったボランティアが感想欄に書き記した言葉です。
いつもご紹介している「つぶやき」は、足湯の場で偶然出会った一人の被災者と一人のボランティアが対面し、手に触れ、言葉を交わす中で生まれ、ボランティアによって書き留められたものです。
被災者の声に耳を傾けると同時に、その言葉を聴き取ったボランティアが、一人の被災者とどのように向き合い、何を感じたのかにも注目する必要があるでしょう。

○まず、第一声が「私の家流されちゃったんだよね」から始まった。やはり、そのような言葉は、普段顔なじみの人より、ボランティアの人や若い人たちにだからこそ話せる部分も大きいんじゃないかと思った。
(1月14日 一関・仮設 男性)

○流された二男さんのことを聞かされた時は涙が出そうになりましたが、本人は元気そうで、人間とは強いものだとつくづく思いました。
(2月1日 名取・仮設 女性)

方言で時々聞き取れないところがあった。温かく接してもらって、逆にこちらが良い気分になった気がする。
(2月1日 名取・仮設 女性)

○しきりに孫と似ていると言って、私と話すのを嬉しそうに話してくれた。「今のうちに・・・」という言葉を被災者の方から聞くと本当に重みのある言葉に感じて、今を大切にしないとととても思った。当たり前と思っちゃいけないと思った。ずっと被災のことを話しており、誰かに話したくてしょうがないといった口調だった。話してもらえてよかったと思う。
(2月10日 一関・仮設 女性)

○ご主人に勧められて渋々という感じだったのが、終わった後はニコニコと「またお願いしますね。」に変化したのが嬉しかった
(2月14日 釜石・仮設 女性)

○大人しい方なのかと思ったら、何気ない質問から急に色々と話し始めたので、たくさんためこんでいるのかと思った。
(2月14日 釜石・仮設 男性)

○マッサージする手ががっしりしていたので、「何の仕事をされてるんですかー」と尋ねたら、漁業をされてる方で、海の話をたくさんしてくださった。昨日出かけたわかめ漁のことを嬉しそうに話してくださった時の笑顔が印象的だった。やっぱり仕事あっての生活だなと感じた。
(2月15日 釜石・仮設 女性)

自分より若い女の子は少し緊張する。4世代にわたって仮設に入っている人もいるんだなとあらためて思った。
(2月18日 山元・仮設 男性)

○被災したときの話をして下さった。ただただうなずくくらいしか出来なかった。こんな怖いことがあっても前を向いている。すごい。
(2月19日 石巻・仮設 女性)

手が凍るように冷たかった。
(2月19日 山元・仮設 女性)

仮設暮らしが少し窮屈そうだと感じた。誰も周りが知らない人だとおっしゃったとき顔をぎゅっとしかめられたが、みんないい人という時はとても笑顔になったので、少し安心した。
(2月25日 釜石・仮設 女性)

○最初は身体が硬く、手も握ったままでしたが、足湯して手をマッサージしたら気持ちよさそうな顔になり、手もやわらかくなり、喜んでいるのが伝わってきました。嬉しかったです。
(2月26日 いわき・仮設 女性)

○震災の被害についてお話された時は、涙ぐまれていた。お話の合間合間にたまに遠い目をされるので、震災が与えたショックは大きいものなんだと改めて実感した。
(2月26日 釜石・仮設 女性)

○こういうボランティアは初めてだったので最初は戸惑ってしまったけど、ぽつりぽつりでもお話できて良かったです。足湯を喜んでくれて、こっちも嬉しかったです。手と手が触れ合って、少し距離が縮まった気がしました。
(3月16日 石巻・仮設 女性)

○ずっと下を向いたままだった。自分から話しかけることはなくて、大丈夫かな?自分は話しかけていいのかなと少しためらった。でも会話は特になくても、足湯をしてリラックスをすることが出来るから、大切な時間だと思いました。
(3月31日 遠野・仮設 男性)

2012年4月 7日 (土)

【週刊つぶやき】第40号/1年前のつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第40号をお届けします。
今回はテーマ【1年前のつぶやき】です。

3月11日、東日本大震災から1年を迎えましたが、ROAD足湯隊が最初に足湯を行ったのが、それから20日程経った3月29日でした。
今回は、ちょうど1年前、被災直後に足湯隊が聴き取ったつぶやきをご紹介します。
現地ではまだ水の調達も困難で、「まだお風呂に一度も入っていない」といった声もあります。
また当時のつぶやきからは、避難所の片隅に設置された足湯の場に、老若男女、様々な方が訪れていたことがわかります。
今後も、原点を振り返りつつ、足湯の活動を続けていきたいと思います。

お父さん、お母さんが片付けをしている。自分は妹2人の面倒を見ている。今年中学校を卒業した弟は小学校でボランティアをしている。片付けを手伝うと手がかさかさになる。
(2011年3月29日 石巻・避難所 10代 女性)

○他県からのボランティアの方に会うと、宮城が忘れられていない気がして安心する。自宅から毎日片道1キロをかけて体育館に来ている。正直つらい。これまで気が張っていたので、体調が悪くはなかったが、最近は気を張るのに疲れて風邪気味の方が多い。
(2011年3月29日 石巻・避難所 50代 男性)

○体育館に避難している。初日は1部屋に100人以上が避難して、立って寝たんだよ。具合の悪い人は横になってほとんんど立ってたよ。水もおちょこに1口だけだよ。
(2011年3月30日 石巻・避難所 80代 男性)

○地震があって避難してから一度も教室を出ていない。来てくれるのが嬉しい。
(2011年3月30日 石巻・避難所 60代 女性)

○今日4回目~♪もっと熱くして~。その方が気持ちいい。本当に気持ちいいんだ。そのマッサージがいい。柔道やってる。でも津波からやってない。
(2011年3月31日 石巻・避難所 10代 男子)

ずっとお風呂に入れてないから足湯に入れてすっきり出来てうれしい。昨日も来たけど、昨晩は久々に寝れた。足湯の効果は凄い。母としてこれから頑張らないと。だけど精一杯。今日は米軍が来てるわね。良い出会いがあったりして(笑)。私は生まれも育ちもここだからここしか知らないのよ。
(2011年3月31日 石巻・避難所 30代 女性)

○体育館でバラバラに集まっているより、教室で近所の人たちと助け合っていたから精神的に保てたのかもしれない。
(2011年3月31日 石巻・避難所 50代 男性)

○私はね、泳いで逃げたのよ、もうどうやって来たかもぜんぜんわからないけどね。火事場の馬鹿力がでたのね。屋根にいた人に引き上げてもらってね。雪が降ってて、気を失ってね、気が付いたら病院で皆に体さすってもらってて、担架で助けられたのね。凍えててね。助かったのが本当に生きているのが不思議でね、ほんとに。 
(2011年3月31日 石巻・避難所 70代 女性)

○先日家の跡に行ってみたらチューリップが1輪咲いていた。何もかも無くしたがそれがとてもうれしい。花作りが好きで苗から育てている。これからと思っているのに苗づくりが出来なくて淋しい。
(2011年4月4日 七ヶ浜・避難所 60代 女性)

○人生で災害に2度あった。ここの所ではプライバシーがないのが一番つらい
(2011年4月4日 七ヶ浜・避難所 70代 男性)

○一回に三回は目が覚めて寝付けない。お父さんがおむつをつけっぱなしでかわいそうだ。
(2011年4月4日 七ヶ浜・避難所 80代 女性)

○車を運転している時に津波に流された。誰かに助けられ、医療施設に2日間くらい泊められた。家は津波で流された。家族は逃げて無事だった。お互いに2日間連絡がとれず、顔を見た時には抱き合ってうれし涙を流した。今は家族といられるだけで幸せ。
(2011年4月4日 七ヶ浜・避難所 30代 女性)

○毎晩、板の上に薄い布の上に毛布だけで寝ていて、トイレも寒いから近くなって、夜中何度も起きてトイレに行っている。ずっとよく眠れない。高2の息子が、夜12時まで(避難所に)帰ってこない、友達と一緒にいるみたい。。。友達をなくしているから、今は好きにさせてやりたい。もう少しで学校が始まるし。
(2011年4月19日 陸前高田・避難所 40代 女性)

○眠くなっちゃった。これからハローワーク行くのに。
(2011年4月19日 陸前高田・避難所 40代 男性)

○私はこの人(隣で足湯をしている女性)と一緒に逃げたの。1歩2歩の差で助かったの、本当に。まっすぐ、私の前行ってた人は波にのまれて、私は横に逃げたから助かったの。もう四つ足(よつんばい)で逃げたの。波が信号の上から、カーテンみたいに来て。着たままで(逃げたから)これしか持ってないから。
(2011年4月19日 陸前高田・避難所 70代 女性)

○今日学校の始業式だった。親友が行方不明で心配。足湯、気持ちいい。
(2011年4月20日 大槌・避難所 10代 男子)

【週刊つぶやき】第39号/震災から1年に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第39号をお届けします。
今回はテーマ【震災から1年】です。

東日本大震災から1年、被災者一人ひとりは1年をどのように迎えられたのでしょうか。
つぶやきから見えてくる中で印象的なのは、単に地震から1年ということではなく、家族・親族・友人など大切な人の死から1年が経過したということが、被災された方にとって大きな意味を持っているということです。
また、生活上の変化、人間関係上の変化、という具体的な変化の重みが、1年を機に改めて意識されているようです。
「1年が経ってボランティアに来てもらうのも申し訳ない」といった声もありますが、まだまだ終わらない被災地の復興に向けて、息の長い支援を続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

○兄弟皆で閖上に住んでいたので、いつもお茶のみをしていましたが、津波で兄弟が流されて亡くなりました。毎日それが悲しくてなりません。もうすぐ1年になるので、葬式も出さなきゃいけないのですが、まだ出していません。わかっているのですが。
(2月1日 名取・仮設 60代 女性)

○男は40代までしか仕事ないな。50代じゃ難しい。ここいらでも、若い人でも仕事無い。やるごとねぐて男はうちから出ないで、1年にもなるのになぁ。おれは毎日ここ(集会所)来てるけど、集落違うととっつきにくいよ。若い人らは特になかなか話すこともないよ。
(2月5日 七ヶ浜・仮設 70代 男性)

○足湯の人たちがもう帰ってしまうと思ったから散歩の帰り、急いじゃったよ。帰るのが名残惜しくて・・・。1年前は全然ピンピンしてたけど、この1年で急に老いたよー。歩くのもね、散歩の途中で休憩しちゃうし。
(2月17日 石巻・仮設 80代 男性)

○朝のぞきに来たら女性ばっかで入りづらいなあって思って来れなくて。で、今のぞいたら誰もいないっちゃ入ってきたよ。津波ってすごいねぇ。家がくるくるまわりながら流されてってさ。あー、あれからもう1年になるんだよね。
(2月19日 山元・仮設 60代 男性)

松島で亡くなった主人の一周忌を済ませ、娘、息子の家族と1泊してきた。このあたりでも700人ぐらい亡くなった。自分はプールに行っていて助かった。出かけていた方ばかり助かった。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)

○仮設は顔見知りばかり(元々ご近所で浜の方の人)だから助かる。家を流された人が多く、自分は家は大丈夫だったが、夫が流された。もうすぐ1年だから一周忌をしようと考えている。家は2Fが大丈夫で直せば住めるが、どうしたらよいかどこから考えたらよいか分からない。
(2月26日 山元・仮設 70代 女性)

津波の映像見るのは1年経つけど、いまだに怖い。13軒あった近所の組で、流されたのは3軒だけ。今になってどうしてうちだけという気になる。
(3月3日 七ヶ浜・仮設 60代 女性)

○去年の4月、もう1年になる。農作業をしなくなてから1年、何もしていない。時々気が滅入ってしまう。皆さん、来てくれてありがたいし、申し訳なく思います。子どもに色々と助けられていて幸せ。
(3月7日 東京 80代 女性)

1年経ったので、国から帰れと言われているが、原発から8㎞圏内なので、帰ってもお店もないし、畑も出来ないし、お野菜も買えないし、仕事もないから、帰れない。息子は子どもがいるので帰らないと言ってる。一人じゃどうしようもない。こっちにいてもやることがない。が、向こうに帰ってもやることがない。
(3月7日 東京 50代 女性)

1年もたてばねえ(近所の人と)仲良くなるよ。みんな集会所に集まる。集まらない人は全然見ないけどね。
(3月16日 山元・仮設 50代 女性)

震災から1年が経ち、ボランティアしてもらうのがだんだん申し訳なく思う。ここは坂が多くて大変(雪の時)。
(3月16日 山元・仮設 60代 女性)

○3月1日が誕生日で、去年68歳になった時震災に遭って、3月11日2時46分は忘れることができないよ。
(3月17日 七ヶ浜・仮設 60代 女性)

○先日からお彼岸に入ったから忙しい。うちも(津波で)親類が亡くなったから、先月一周忌を済ませたの。亡くなった人も多いから、法要も混むでしょ。だから2月にやったの。
(3月18日 七ヶ浜・仮設 80代 女性)

2012年3月25日 (日)

【週刊つぶやき】第38号/雪・凍結に関するつぶやき

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第38号をお届けします。

今回はテーマ【雪・凍結】です。

東京ではもう春の訪れが感じられますが、東北はまだ寒さが続いてます。

特に、今年の冬は雪が多く、沿岸部から内陸部へ移ったため雪に戸惑ったという声はよく耳にします。

また、つぶやきの中には、仮設住宅での水道や玄関の凍結、結露の問題などが少なからず見られます。

来年以降の冬に備えるためにも、今冬見られた課題はなんだったのか、きちんと整理しておく必要があるでしょう。

○(前日うっすら雪が降って)あんなのこっちじゃ降ったうちに入らないよ。でも昔に比べたら減ったね。小学生の頃、新聞配達をしてて、雪道を歩いた。これくらい(5cmくらい?)だったら自転車乗っちゃうよ。竹をはらって雪をおとしながら歩いた。
(1月7日 岩沼・仮設 60代 男性)

今朝は雪かきやって寒かったから足湯したいんです、浜通りは雪降らないから。雪が降ったら運転しないことにしているんだ。怖いから。
(1月14日 三春町・仮設 60代 男性)

地元はめったに雪ふらないからこっちに来てびっくりしたよ。朝起きると手の関節が曲がらないんだ。年とると大変だよ。朝起きて手が曲がるようになったから起きるんだ。
(1月14日 三春町・仮設 年代不明 女性)

○川内は今日30cmくらい積もってるらしいね。浜のほうは雪降らないっていうけど川内はたくさん降るんだ。郡山はあんまりふらない方じゃない?
(1月22日 郡山・仮設 70代 女性)

○今年はいつもより寒くてねー。雪が多くなるのは2月下旬からよ。小指がふるえてるのよ
(2月3日 石巻・仮設 70代 女性)

○集会所の鍵預かってるからさ。朝9時ぐらいから鍵開けてクーラーつけておくんだよ。この頃は水道が凍っちゃって、水が出なくてさ。前の夜から凍らないようにお湯出したりしておくんだけど、ダメだね。仮設の水道は掘っている深さが浅いんだって。だから凍っちゃうって。
(2月14日 釜石・仮設 60代 男性)

○昨日は3時頃から雪になった、さらさらな雪だね。今年(シーズン)3~4日位降ったけど、こんなに積もったのは初めて。マイナス7℃とかいう日もあって、花がダメになって捨ててしまったよ。家にいたときは中にいれていたけど、今は場所がなくて。
(2月17日 名取・仮設 60代 女性)

○昨日夜中の3時ころにぱらぱらふり始めてきたらこんなに積もってね。山元の人が、今年はよく積もるって、言ってた。私は浜に住んでいたから車も雪だと怖くってね、この間仙台へ行った時に事故が二件あってね、事故は嫌だね。
(2月17日 山元・仮設 50代 女性)

○毎日1時間散歩しているの。今日は雪が降っていたから疲れちゃった
(2月17日 山元・仮設 60代 女性)

病院に行こうと思っていたけれど雪だから行けなくなっちゃったよ。バスで朝と夕に石巻行きが出てるんだよ。
(2月17日 石巻・男性 年代不明 女性)

○こっちは寒いから水道も凍結するんだ、北側は(仮設)。
(2月18日 名取・仮設 70代 男性)

○(仮設住宅)は、不便だねぇ。今朝も玄関が凍っちゃって、お湯で溶かしてやっと扉が開いたよ。
(2月19日 石巻・仮設 年代不明 女性)

○今年はヘクサ虫がいっぱいいたから雪がいっぱい降ったんだよ!!ヘクサ虫がいっぱい出る年は雪がいっぱい降る!!
(2月19日 山元・仮設 70代 女性)

○今日は昨日より暖かいね。昨日は風が強かったからね。雪が降って道が凍っていたら小さい幅でトコトコとつま先から歩くところばないんだ。東京の人は雪が降ってもいつもと同じに歩くから転んだりするんだよ。
(2月19日 山元・仮設 70代 男性)

いつもは、こんなに雪降らないんだけどね。春前に1,2回雪が降って、やっと雪がくる感じかなー。
(2月25日 釜石・仮設 50代 女性)

○(部屋が)4畳半2つだから狭くて、あっちの棟は6畳なのにね、こっちは狭い。大人3人で4畳半はねえ。昨日の雪もすごい家の前までふきこむから、屋根つけて、って言ったとこなの
(2月26日 石巻・仮設 70代 男性)

○昨日ね、仙台に行ってきたの。でも(雪で)通行止めになってね、4時間かかったのよ。仙台についたらさ、若い人たちはアウトレットに行きたいって言うから、(滞在時間が短くて)もう何しに行ったんだかねぇ。帰りも時間がかかったこと。
(2月26日 釜石・仮設 50代 女性)

雪も玄関の方は溶けないで凍っちゃう。スコップも前に落ちてたのを拾ってきたの。仮設にはないよ。必要だけど一つもないから雪かきもできない。ショベルも草刈のも拾ってきた。さびてるけどいつか役立つと思って。でないと物資の支給もここには来ないからね。
(3月4日 石巻・仮設 70代 女性)

2012年3月23日 (金)

【週刊つぶやき】第1号~第36号 まとめ冊子版

いつも日本財団ROAD×震つな 足湯ボランティアに関心をお寄せくださりありがとうございます。

先日行いました報告会の際に、週刊つぶやき第1号~第36号までをまとめた冊子を、資料として配布いたしました。こちらから同じものをダウンロードしていただけます。被災地の生の声をお伝えできれば幸いです。

ダウンロードは↓こちら↓

日本財団ROAD プロジェクト×震災がつなぐ全国ネットワーク週刊つぶやき(2011.6.20~2012.3.14)1 万人のつぶやきからをダウンロード

2012年3月17日 (土)

【週刊つぶやき】第37号/被災体験に関するつぶやき②

ROAD事務局より、◇週刊つぶやき◇第37号をお届けします。
今回はテーマ【被災体験】の第2回です。
震災当日の光景はTV等で何度も放映されていますが、震災をその内側から体験した方たちの語る言葉には、映像とはまた違った重みがあります。
またその体験は、決して「被災者」と一括して語ることはできない、一人ひとり異なる固有のものであったことも、ここから伝わってきます。
 

○浜の近くに住んでたの。でも、津波来るって聞いても、まさかねーと思ってて、ラジオで釜石で6mとかって聞いて、こっちには来ないんだなぁーと思ってて。1Fの途中くらいまで水は上がるかもと思って下に置いてあったものを棚の上に上げたりして。玉浦中学校についたら、「3Fにあがれー」っていうのを聞いて、あー2Fじゃ危ないのかと思って。津波来たぞーって叫ぶのを聞いて、みたらもう一面海みたいになって、わーって来て・・・まさかこんなんなると思わねんだから。
(1月7日 岩沼・仮設 70代 女性)

避難するときも、周りの人だれも声かけてくれなくて・・・。3つ隣の人も避難してなかったな。そのうち、食べるものなくなってその人、家に来たよ。米30キロあげたら喜んでた。自衛隊も来たけど、(娘に頼まれて私を探しに)あたしの家寄らなかったのよ。避難呼びかけるならもっとちゃんと説明して欲しかったよ。こっちは何がなんだかわからなかった。
(1月8日 郡山・仮設 70代 女性)

○何で津波きたべなあ。大槌の中央にいて50mくらい波、見えたもんな。線路のホセンキョウ?の鉄骨につかまって助かったんだ。一晩中足踏みしてたの。寒いから。水がたまっていて座るとこもねかったし。で、ヘリコプターきたのが(翌日)10時半頃で私が助けられたのが12時半頃。22時間後だった。低体温症になっていて全国から来た医者たちで「すぐ温めろ」とか「いや、すぐじゃだめだ」とか色々言ってた人あったっけ。
(2月1日 遠野・仮設 70代 男性)

○津波の時は、会社の事務所にいたけど、膝ぐらいまで波が来た。川側を、避難所を捜し歩いたけど、車が重なってたり、船がいたり、マンホールが上がったり、泥が積もっていた。1週間以上、お風呂にも入れず、服もそのまま。小さなおにぎりと、マーブルチョコ1粒だった。
(2月4日 石巻・仮設 60代 男性)

○津波が来た時、高台に私は逃げたんだけど、火災がすごくて。私の夫は漁師だったんだけど、船は流されなかったんだけど、全部焼けちゃって。神社に逃げた人は、神社が焼けちゃって、階段を往復しなくちゃいけなくて大変だったみたい。
(2月11日 気仙沼・仮設 50代 女性)

○小学校に避難してね。カーテン巻いて寒さをしのいだのよ。みんなで協力してね。車を降りて急いで階段のぼってね。危機一髪だったのよ。自分が乗ってた車が流されていくのを見たのよ。
(2月18日 名取・仮設 70代 女性)

○津波の日、今まで地震は何度もあったけど、その時は考えられないような大きい揺れが来たんだ。同じようにおっきく広く動いてぐらぐら揺れて、寝たきりのおっかさんと一緒に動けなかった。おっかさんは足がうまく動かせないから、近所の人と建物の上に逃げようとしたんだ。だけど、車に乗った人がここから逃げないと津波が来るって言って、おっかさんと乗せてもらったんだよ。その人がいなかったら助かんねかった。その人は車でどこかに走ろうとしたけど、俺が騒いで、山さ逃げようって言って、そこの山さ逃げたんだ。あんとき、俺が山さ逃げようって言わねかったらみんな津波だ。山さ登って下を見たら車も小学校も全部ガタガターって流された。俺は田舎(アパート)戻ろうとしたけど、戻るなって周りの人に言われたよ。戻ったら俺はおっかさんを殺すことになってたんだ。俺が生きてるのは皆のおかげさ。津波が引いたら町はおっかねえことになってた。
(2月19日 石巻・仮設 60代 男性)

○津波の時は、着のみ着のままで山やお寺に逃げて、その晩に雪が降ったので、みんなガタガタ震えていたのよ。
(2月25日 釜石・仮設 70代 女性)

この辺の子供たちはみんな震災の日、学校からみんなで高い所高い所へ逃げて行ったの。東中とか宇野(?)小は海に近くて津波来たからね。私はビルの7階にいてすごく揺れましたよ。でも1階は津波が到達したみたいだから、7階で良かったと思って。子どもともすぐ連絡取れなかったよ。この子(隣で足湯していた子)とは、2日たってやっと会えて、上の子どもとも翌日会えて。もうダメかなーとは思ったけど、良かった、と思って。
(2月26日 釜石・仮設 40代 女性)

○あんな大きな津波来ると思ってなかったもん。怖かったぁ。自分の家が流れてくとことか全部見てたんだもん。本当怖かったよ。97歳になるおばあさんにも杖ついて自分で歩いてもらって逃げた。お父さんはずっと出稼ぎで、やっと家に戻ってきたら1年であんな大津波来ちゃってかわいそうだよね。
(3月6日 陸前高田・仮設 70代 女性)

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